「これを覚えると1秒ちょっと速くなるよ」
無精髭に手術衣から覗く熊のような胸毛、一見すると山男の様な風貌の男は言った。

衝撃的な言葉だった。
職人的にコンマ何秒を考えながら仕事をする看護師に初めて会ったからだ。
それまで経験してきたものでは、一つ一つの技術を見直したり、突き詰めたりすることはなかった。

手術室の看護師の代表的な仕事に「機械出し」がある。
医療系ドラマなんかで、手術中に医師が「メス」と言ったら、それに合わせてメスを渡す看護師が「機械出し」だ。
病棟で何人もの患者を看ながら働く看護師とは異なり、一人の患者の手術に集中する職人的な仕事である。
同じ看護師でありながら、病棟で働く看護師とは業務内容は大きく異なっている。

機械出しに加え、外回り看護師があり、手術の準備や病棟への術前訪問、病院によってはカテーテル検査を兼任しているところもある。
夜勤があるところもあれば、夜勤がなく待機番(緊急手術があれば呼ばれる)があるところもある。

私が経験したものでは、土曜日の24時間待機で、朝8時に呼ばれ翌朝の10時まで手術をしていた時があった。
その時は看護師3人で13件の手術を約26時間おこなっていた。
盲腸が空気感染しているんじゃないかと思ったほどだ。

業務内容が特殊な手術室は勉強することも少し異なる。
病棟の看護師は、疾患やその科にあった看護を勉強する。
手術室でも同じような勉強をするが、そこに術式や機械の扱い方が入ってくる。
手術が始まると滅菌ガウンに滅菌手袋をするため、ノートなどが見れなくなる。
慣れない手術を頭に叩き込むのは容易ではない。

各先生に合わせた機械選びや手順、場合によっては医師のカンファレンスに入ることもある。
研修も看護師だけではなく、医師と一緒に豚の内視鏡手術をしたりもした。
医師の仕事を体験することで、どこにどんなサポートをすれば良いかわかるからだ。

チーム全体で一人の患者を治療する。
1つのことに集中するので、男性看護師には向いているかもしれない。

ドラマの「医龍」はご存知だろうか?
病院の屋上で心臓外科医の朝田(坂口憲二)が目を閉じてイメージトレーニングをしている場面がある。

医師に次何を渡すか、機械をどの順番で使うのか。
手術前にイメージしておくと術中スムーズに機械を出せる。
目を閉じてイメージしながらエアー手術をする。

スムーズな機械出しは、まるで餅つきのようにパッパッと機械の受け渡しを行い、医師は術野から目を離す事なく受け取っていく。
医師が気持ちよく手術を行えるようにする。
まるで欲しい機械を思い描いたら、スッと手の内にある。
そんな風に機械を渡せたら理想だ。

そして、時には一人で二人の医師に対応することがある。
針に糸を付けて渡すのだが、それを二人に対し同時に行うのである。

看護師の動きはこうだ。
持針器という刃のないハサミのようなものに針を付ける、その針に糸を通して医師に渡す、医師から糸の使い終わった持針器をもらって、針を付け直して糸を付ける。
この一連の流れを通常は一人に対して行うが、術式によって二人に対して行う。
そのため「秒単位でのスピードアップ」が求められる。
医師が手を出したまま待つことのないようにするのが大切だ。

そんな世界の中で、手術室看護師が皆職人的なのかと言うと、そうではない。
私が務めていた病院は看護師が1000人近くいる病院であったが、コンマ何秒を突き詰める手術室看護師はいなかった。
しかし、その看護師は違った。
誰に求められるでもなく、技を磨いていた。

その看護師は、常に医師の手元を見ていた。
言われる前に出す。
もっと言うと、医師がどの機械を使うか迷った時に適切な機械が出せる、そんな看護師を目指していた。
また、医師の機械の使い方や持ち方を目で見て技を盗んでいた。
まるで寿司職人だ。

寿司を握るのを何手で行うのか。
新人は針に糸をつけるのに5手かかるとしたら、ベテランのそれは2手で終わる。
職人的な技術は覚えるのも楽しかった。

手術がスムーズに進むと、一体感が生まれる。
滞りなく終わった手術は充実感も大きい。
常に医師とチームで働くため、医師との信頼感も重要である。
信頼を得られた看護師は、時に指名される。
仕事のモチベーションも上がる。

今では医師が遠隔で手術を行うダヴィンチ手術なども行われている。
私の時代には無かった手術も数多く始まっている。

普段目にすることのない看護師の業務、その更にニッチな手術室看護師。
分厚い扉の向こうで働く看護師たちのちょっと特殊な働き方。
命と向き合うその仕事場は、様々なドラマが生まれる場所でもある。
もし、知人に手術室で働く看護師がいたら、ちょっと話を聞いてみてほしい。
ドラマでも観る事ができない面白い話があるかもしれない。

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